ニーチェ
ニーチェ
圓増治之「ニーチェ 解放されたプロメテウス ―ニーチェ哲学に於ける 解放力としての『音楽』」より
――思い起せば、ニーチェはその処女作 『悲劇の誕生』ですでに、後のニーチェ自身の言うとろによれば「差し当っては学者の頭巾で身を隠し、ドイツ人の重苦しさと弁証法的無味乾燥 さで身を隠し、 ワーグナー主義者のまずい流儀でもってまでも身を隠して」ではあるが、暗々裡に生そのものの心臓の通暁者として、 「力への意志」の通暁者として、語っているのであった。
すなわち、 『悲劇の誕生』第 1版刊行から16年後の第3版で新たに付加された序文 『自己批判の試み』の第4節の冒頭でこう言っている。すなわち、 「そうだ、ではディオニュソス的とは何であるか?-この本のなかにその答えが記されている-ここで語っているのは一人の『通暁者』である、すなわち、その神の秘密祭祀参入者にして使徒である」 と。
「それほど独自な見解と冒険に対してやはり独自な言葉で語ることをすべての点で 自分に許すだけの勇気」を当時ニーチェは未だ持っていなかったとはいえ、それ故末だ暖味にであるとはいえ、『悲劇の誕生』は秘かにすでに生の最も内奥の心臓から、すなわち 「力の意志」の次元から、我々に語りかけているのであった――。
【目次】
まえがき
第一部 ニーチェの立場へ
第一章 「真理への意志」 近世哲学に於けるその内的変動
第二章 ニーチェ・コントゥラ・パスカル
第一節 パスカルの「理性の論理」と「心情の論理」
第二節 パスカルの「心情」とニーチェの「心胸」
第三節 パスカルからニーチェに至る哲学に於ける「畏敬の心胸」
第四節 ニーチェに於ける「畏敬の心胸」の破棄
第五節 「心胸のメタモルフォロギー」への序論
第二部 ニーチェの場合
第一章 ニーチェに於ける「イロニー」
第二章 ニーチェに於ける「勇気」
第一節 「永劫回帰」の思想と「勇気」
第二節 ニーチェ・コントゥラ・ヘーゲル
第三章 ニーチェに於ける「メランコリー」
第四章 ニーチェに於ける「最後の神」 ニーチェ・コントゥラ・ハイデッガー
第五章 ニーチェ哲学に於ける解放力としての「音楽」
第三部 ニーチェの立場から
第一章 生の「メタモルフォロギー」的形式としての遠近法 テクノロジーの時代の超克のために
第二章 「力への意志」の一形態としてのテクノロジー
第一節 「テクノロジカルな自然支配」と「テクノロジーの自然本性」
第二節 「自然の人間化」と「人間の自然化」
注
後記
索引(人名著作名・事項)
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著者
圓増 治之(えんぞう はるゆき)
1945年生まれ。哲学者。愛媛大学名誉教授。京都大学文学部哲学科卒、同大学院文学研究科博士課程満期退学。大阪大学文学博士。
著書に、『ニーチェ解放されたプロメテウス』『風のこころ 良寛随想』『良寛 この日この生』『遊戯する生への変容 ニーチェの場合と良寛の場合』、
訳書に、『科学論』(共訳)、『ハイデッガー全集 第6巻 ニーチェ』(共訳)などがある。
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