中世哲学研究2:トマス・アクィナスの〈エッセ〉研究
中世哲学研究2:トマス・アクィナスの〈エッセ〉研究
「トマスの『スンマ(神学大全)』を読み進んでゆくうちに、私は、いわゆる「がある存在」といわれる「存在」(エクシステンチア)は、トマスが神の本質と同じであるという「存在」(エッセ)とは、別のものではないだろうかという疑問をいだくようになってきた。そのような疑問が心に浮かんだのは、『スンマ』の神の存在論証の箇所を読んだときである。そこでトマスは、神の存在、すなわち「神がある」ということは理性によって証明できるとはっきりいっている。他面トマスは、神において存在と本質は同一であるといっている。それゆえもしこの存在が、「神がある」と言われる場合の存在と同じものであるとしたならば、当然、存在と同意なる神の本質も理性によって認識される筈である。しかるにトマスは別の箇所においては、神の本質は絶対に認識できないといっているのである。これはあきらかな矛盾ではなかろうか。この矛盾を解決しようと思うのならば、神においてその本質と同一視される存在(エッセ)は、いわゆる「がある存在」としての存在(エクイスシテンチア)とは別のものであるとしなければならない。トマス自身、神の存在が理性によって証明されるか否かを論じた箇所において、神の存在(エッセ)が不可知であることを根拠として「神がある」ことを論証できないと主張する説を、一つの異論として提示している。それに対するトマスの解答をみると、たしかに「存在の現実態」としての神の存在は人間の理性認識を超越するが、「神がある」という命題が真であることは、結果の存在から原因の存在を推定するア・ポステオリな論証によって証明できるのであるという。・・・
しかしながら私はついに、この問題について単に「疑問をいだく」にとどまらず、断定を下さざるをえないところまで到達した。」
【目次】
まえがき
一 エッセの探究
二 存在とエッセ
三 神の存在とエッセ
四 神の内在と超越
五 存在と本質
あとがき
人名索引
文献表
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著者
山田 晶(やまだ あきら)
1922〜2008年。京都帝国大学文学部哲学科卒業。京都大学教授、南山大学教授を歴任。専門は、西洋中世哲学研究。アウグスティヌス、トマス・アクィナスの研究などで知られる。著書に、『トマス・アクィナスのキリスト論』、訳書にアウグスティヌス『告白(I〜III)』などがある。
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