型
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「私の「型」と社会との関わりについての作業仮説(本書第一章参照)を実証する例がいままさしくここ〔猿之助の名優は「後世に残る作品をつくった人です」という発言〕にあるという実感を強くもったことをありありと思い出す。猿之助がもし自演を実現しようと思うならば、彼は世阿弥のようにみずから脚本を書き、みずから演出し、そしてみずから演技をしなければならないのではないかと思いながら、彼は自分の歴史的位置を、「型」を破る人でありつつ、同時に「型」を創造すべき人、として見据えている、立派なものだ、と思った。・・・後世に残る作品は今までの歌舞伎の型とはある程度異なるであろうが、歌舞伎である以上、それはやはり「型」の芸能であろう。だとすれば、その型はいったいどういう型なのだろうか、という疑問と好奇心が起こってきたことも事実である・・・
(玉三郎は)歌舞伎の国際的な存在意義について「気候風土、生活様式の違いからうまれた表現をまず珍しがり、面白がる。それは差の認識であり、その次に地球人としての共通の芸術的な精神をどう感じ取ってもらうのかが問題になる。そこを追究したい」と語っている。その独自性・固有性を明らかにすること、それをするとともに、その独自の形の中に潜んでいる普遍性、人類としての共通性を明らかにすること、それを玉三郎は違った仕方で表現しているのだ。彼は「伝統とその現代化」という問題に真正面からとりくんでいる芸術家であり、歌舞伎の俳優としてその伝統の具体的内容を「型」という点に求めているのだ。・・・
ところでここで私が二人の個性的な発言を引用したのは、人間にとって「型」という問題のもつ二重性を、二人の発言は期せずして示しているからだ。この二重性をどう考えるか、これは簡単に結論の出る問題ではないが、このことを念頭に置きながら、本書では「型」の問題を論じてゆきたいと思う」(「はじめに」より)
【目次】
まえがき
第一章 「型」とは何か
第二章 「型」の前史 古代・中世における「身」と「こころ」と「わざ」の思想
第三章 世阿弥の能楽理論における「型」の問題
(附論) 「序・破・急」の問題
第四章 剣法論に見られる「型」
第五章 「型」と稽古 「型」と日本人との交わりの「型」
結び 「型」における心
注
あとがき
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著者
源 了圓(みなもと りょうえん)
1920ー2020年。思想史学者。東北大学名誉教授、北京外国語大学名誉教授。日本学士院会員。
著書に、『義理と人情 日本的心情の一考案』『実学と虚学』『徳川合理思想の系譜』『実学思想の系譜』『徳川思想小史』「仮字法語・化縁之疏」『鉄眼(日本の禅語録 第17巻)「『近世初期実学思想の研究』『教育学大全集1・文化と人間形成』『江戸の儒学「大学」受容の歴史』『身体の思想2・型』『佐久間象山(幕末・維新の群像 第8巻)』『佐久間象山』『蓮如 浄土仏教の思想 第12巻』『一語の辞典 義理』『精読・仏教の言葉 蓮如』『横井小楠研究』などがある。
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