神認識とエペクタシス
神認識とエペクタシス
本商品は「旧ISBN:9784423301029」を底本にしたオンデマンド版商品です。
初刷出版年月:1998年
ニュッサのグレゴリオスによるキリスト教的神認識論の形成〈エペクタシス〉という人間存在の根本態勢からグレゴリオスの神認識論を説く。中村元賞受賞。
【目次より】
まえがき
序論
第一節 問題の所在、及び本研究の目的と方法
(a) 欧米におけるグレゴリオス研究の概観 (b) グレゴリオスの神認識論の研究史 (c) エペクタシス
第二節 ニュッサのグレゴリオスの生涯
(a) 生年・生地・家族 (b) 教育・修辞家・結婚 (c) 三七一年以降
序論 注
第一章 グレゴリオス以前の神認識論
第一節 ギリシャ哲学における神認識論
(a) プラトン (b) アリストテレス (c) フィロン (d) プコティノス
第二節 グレゴリオス以前のキリスト教における神認識論
(a) 新約聖書 (b) オリゲネス (c) エウノミオス
第一章 注
第二章 働きからの神認識
第一節 「働きからの神認識」
(a) 「断絶」 ギリシャ的神認識としての「働きからの神認識」 (b) 「連続」 キリスト教的神認識への「働きからの神認識」 (c) 「混同」 神、知恵=キリスト
第二節 「働きからの神認識」とエペクタシス
第三節 結び
第二章 注
第三章 鏡における神認識
第一節 グレゴリオスにおける「鏡」の概念
(a) enoptron (b) edoptron (c) khatoptron (d) 結び
第二節 「鏡における神認識」の存否について
(a) ダニエルー説 (b) 鏡とエペクタシス、及び恵み (c) 鏡と神の似像 (d) 結び
第三節 『至福論』第六講話の解釈
(a) 問題提起 (b) マタイ伝五章八節の解釈とエペクタシス (c) 『至福論]第六講話とエペクタシス (d) 結び
第三章 注
第四章 暗闇における神認
第一節 「暗闇」という概念
第二節 テキスト分析
(a) 『雅歌講話』第六講話 (b) 『雅歌講話』第十一講話 (c) 『モーセの生涯』第一部四六節〜四七節 (d) 『モーセの生涯』第二部一六二節〜一六九節 (e) 結び
第三節 「暗闇」のテキストの解釈
(a) 神の不可把握性 (b) 「見る」の用語法 (c) 信仰とキリストとの出会い (d) 神の存在 (e) 結び
第四節 エクスタシス
(a) 古典的箇所の考察 「雅歌講話」第十講話 (b) 神秘経験としてのエクスタシス (c) エクスタシスからエペクタシスへ (d) 結び
第四章 注
補遺 神秘主義的解釈について
第五章 エペクタシス
第一節 『モーセの生涯』第二部二—九節〜二五五節
(a) テキスト分析(エペクタシスの一般的説明) (b) テキスト分析(エペクタシスの実質的説明)
第二節 人間存在としてのエペクタシス
(a) 進歩・増大としての可変性 (b) ディアステーマ(時間的拡張性)
第三節 「完全な生」としてのエペクタシス
(a) 有徳の生 (b) 「神の似像」
第四節 神認識とエペクタシス
(a) 神認識としてのエペクタシス (b) ギリシャ的認識からキリスト教的認識へ
第五節 結び
第五章 注
結論
あとがき
■
著者
土井 健司(ドイ ケンジ)
1962年生まれ。神学者。関西学院大学教授。
関西学院大学神学部卒業。同大学院神学研究科修士課程聖書神学専攻修了、京都大学大学院文学研究科博士後期課程(キリスト教学)中退。文学博士。
著書に『神認識とエペクタシス』『「わたし」は如何にして「わたし」であるのか』『キリスト教を問いなおす』『古代キリスト教探訪』『愛と意志と生成の神」』『司教と貧者』『キリスト教は戦争好きか』『救貧看護とフィランスロピア』『現代を生きるキリスト教 』(共著) 『宗教と生命倫理』(共編)など、
訳書に、R.A.マーカス『アウグスティヌス神学における歴史と社会』(共訳)C.マルクシース『天を仰ぎ、地を歩む』 C.マルクシース『グノーシス』などがある。